2011年6月12日日曜日

8:ビスマルク、ヒトラー、メルケルと日本(中)脱原発を実現した人々/その2

5月28日ベルリンのだめ押し反原発デモで元気にドイツ語で挨拶する吉田明子さん
今日は事故発生から三ヶ月で、日本からの反原発デモの報道が続いていますので予定を変えて高まるデモ関係の報告をしましょう。

ドイツのシュピーゲル誌も良質の写真と外電をまとめあげて地震から3ヶ月の日本の情況を報道しています。
記事:タイトルは「破壊された国、怒る市民」:
http://www.spiegel.de/panorama/0,1518,768057,00.html
写真:はちまきネコの写真も素晴らしい。ネコちゃんご苦労さんです。
http://www.spiegel.de/fotostrecke/fotostrecke-69116.html


パリでも日仏連帯のデモがあり、イタリアは明日の日曜から月曜日にかけて、原発の賛否を問う国民投票が行われます。投票率が50%を越えれば、同国の原発建設計画も最終的に終わりになります。

どうやらフクシマの事故で世界的な脱原発市民運動が広範に起こりそうです。「脱原発をこれから実現する人々」の国際連帯は 非常に大切です。核問題は本質的にグローバルですから抵抗運動も本質的に普遍的なものです。

先ほど届いた東京の代々木公園のデモに参加した友人の田中氏の通信の全文を転載させていただきます。
(以下引用)
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 伊那谷から 137         (2011年6月11日)

 黙祷に入ったその時、東京・代々木公園に薄日が差してきた。大震災からちょ
うど3カ月の午後2時46分。雨上がりの石畳には赤ちゃんを抱っこした若いママ、
子連れの夫婦、熟年カップル……。幅広い年齢層が集まった。ざっと2千人に近
いのではないか。
 思い思いのプラカードが自己主張している。「福島の子どもを守れ」「今まで
放っておいてごめんなさい。原発もう要りません」。ヒマワリやガーベラの花を
手にした人達も。電力の原発依存から抜け出し、再生可能なエネルギーへの転換
(シフト)を求めるエネルギーシフトパレードだ。全国で一斉に繰り広げられた
「脱原発100万人アクション」の一環で、グリーンピースや地球の友ジャパンと
いった環境NGOが後押しをしている。
 デモと呼ばず、パレードという楽しげな名の示威行動に参加するのは初めてだ。
「子どもを守ろう」とリーダーが呼びかけると、「エネシフト」と参加者が応じ
る。「バイバイ原発」の呼びかけにも「エネシフト」。40年余り前の10・21国際
反戦デーで銀座通りいっぱいに広がったフランスデモのような解放感はないが、
それでも同じ志の仲間が前後にいると実感できる気分は悪くない。
 「放っておいてごめんなさい」のプラカードが物語るように、原子力政策・行
政への無批判・無関心が東京電力福島第1原発の災害を招いたことを、参加者は
十分に意識している。その結果として求める目標が、再生可能エネルギー促進へ
の政策転換であることは間違いない。だがそのために、どんな具体策を取るべき
なのか。それについてパレードではあまり触れなかった。
 私が環境問題や市民運動の取材を始めたのは約20年前。当時行き合い、パレー
ドで再会した人がいる。原子力資料情報室で働いていた鮎川ゆりかさん(千葉商
科大教授)だ。上記の点を彼女に尋ねると、今国会で閣議決定された「電気事業
者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法案」が突破口になり
そうと教えてくれた。実は、集会の始めに主催者の一人も法案に触れていた。
 法案は太陽光・風力・水力・地熱・バイオマスで発電したエネルギーを電気事
業者に一定価格で買い取ることを義務付ける内容だ。そこがぐらついていたら、
再生可能エネルギーの普及は覚束ない。運命のいたずらか、法案が閣議決定され
たのは、あの3月11日の午前だった。その日の午後に大地震が起き、福島原発の
原子炉災害に連鎖したのは不思議な偶然だ。
 「100万人」と銘打った全国一斉行動だが、参加者はその1割もいたのだろう
か。パレードは若者の街、原宿と渋谷を巡った。一風変わったパフォーマンスは、
周囲の注意を惹いたには違いないが、敷居は高かったようだ。デートを切り上げ、
パレードに合流する若者の姿を私はついぞ見かけなかった。

 田中 洋一
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