2011年9月2日金曜日

25:ゴイアニア被曝事故の鉛棺(1)

1987年9月のゴイアニア被曝事故の除染作業

Karen Kasmauski撮影Goiania,Brazil,1987
上記の二枚の写真は1987年9月にブラジルのゴイアニアという街で起こった大規模な放射線物質汚染事故後の街の除染作業の様子です。これらは:
http://www.smashinglists.com/worst-nuclear-accidents-disasters-in-history/
などから借用しました。

チェルノブイリの事故の翌年に起こったこの事故は、日本ではあまり知られていませんので、今回は予定を変更して、あえて採り上げておきます。実は文科省が一昨日発表したセシウムによる土壌汚染マップに関して、ある報告をする予定でしたが次回に廻します。

このブラジルでの悲惨な事故に関する参考資料は文末にいくつか挙げておきますが、とりあえずは、ヴィキペディアの日本語版では以下のように簡単に説明されています:

ゴイアニア被曝事故(ポルトガル語: Acidente radiologico de Goiania)とは、1987年9月にブラジルのゴイアニア市で発生した原子力事故。
 同市内にあった廃病院に放置されていた放射線療法用の医療機器から放射線源格納容器が盗難により持ち出され、その後廃品業者などの人手を通しているうちに格納容器が解体されてガンマ線源のセシウム137が露出。光る特性に興味を持った住人が接触した結果、合計250人が被曝し、そのうち4名が放射線障害で死亡した。

今日は関東大震災の起こった「防災の日」で、それに関する日本からの報道もありますが、フクシマの原発震災後初めてのその日として、昨年までと様変わりしたようです。事故からおよそ半年後の今日初めて、大熊町の避難者の方々が、非常な高線量の中を自宅を二時間だけ帰られる報道には胸が締め付けられます。
しかし、わたしが「ついに出たか」とショックを受けたのは共同通信の以下の報道です:

 20キロ圏に数百〜千の遺体か 「死亡後に被ばくの疑い」
http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011033101000278.html

この記事によれば:

27日には、原発から約5キロの福島県大熊町で見つかった遺体から高い放射線量を測定しており、警察関係者は「死亡後に放射性物質を浴びて被ばくした遺体もある」と指摘。警察当局は警察官が二次被ばくせずに遺体を収容する方法などの検討を始めた。

 27日に、大熊町で見つかった遺体は、除染が必要な基準の一つである10万cpm(cpmは放射線量の単位)まで計ることができる測量計の針が、振り切れる状態だったという。このため福島県警の部隊は遺体の収容を断念している。
と放置されたままの遺体がに高い汚染度であるとのことです。
 そのため、

遺体は最終的に遺族か各市町村に引き渡すことになるが、火葬すると放射性物質を含んだ煙が拡散する恐れがあり、土葬の場合も土中や周辺に広がる状況が懸念される。
 
 
と報告されています。 
これを読んで、わたしが思い出したのがゴイアニア被曝事故です。この事故で亡くなった4名の人々の遺体も高線量被曝のため、そのままでは埋葬できなかったのです。火葬も土葬もできないとなるとどうするのか。唯一の「解決策」が、放射線を遮断する厚い鉛のお棺に入れ、それをコンクリートで固めて埋葬することでした。 
(2)に続く 

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