2011年11月2日水曜日

49:暴かれた中曽根康弘氏の65年後の「人生の嘘」:生きているうちに「慰安婦」を何人、どのようにして集めたのか答えよ。/訂正と追加あり

このブログでは、「日本の核の男爵」としての中曽根康弘氏について、また彼の自民党内閣の後継者の安倍晋三氏の「人生の嘘」について以下のように書きました。

5:日独の双子の「核の男爵たち」の破綻
http://tkajimura.blogspot.com/2011/05/blog-post_22.html

22:原発中毒の人々と「人生の嘘」(2)
http://tkajimura.blogspot.com/2011/08/blog-post_30.html

ところが先日、10月27日、中曽根氏の「人生の嘘」が完全に暴かれました。高知の「草の家」の皆さんが決定的な史料を入手して公表したのです。これについては、これまでに、まずは10月28日に「しんぶん赤旗」が:
「土人女を集め慰安所開設」中曽根元首相関与示す資料http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-10-28/2011102814_02_1.html

続いて本日11月1日に朝日新聞が:
中曽根元首相、慰安所「取り計らい」 旧海軍資料に記述http://www.asahi.com/national/update/1101/OSK201110310228.html

として報道しました。
 朝日新聞は本年の4月26日、すなわちチェルノブイル事故25周年の日に、「オピニオン」特集でわざわざ中曽根氏の大きなインタヴュー記事を掲載し、「それでも原発推進すべし」とのキャンペーンを行い、すっかり信用を落としました:
http://www.gns.ne.jp/eng/g-ken/doukan/agr_762.htm

しかしこの「慰安婦」問題では中曽根氏を追究する記事を掲載したことは高く評価すべきでしょう。
中島嘉克記者はよくぞ書きました。名前を記憶しておきます。

わたしは、2007年3月に、当時の安倍晋三首相が「慰安婦強制連行はなかった」との一国の首相としては許し難い暴言を吐き、大きな国際問題になったにもかかわらず、日本の朝日新聞以下のメディアが東京新聞を例外として沈黙するか、さらにはこの暴言を擁護するのに対し、週刊金曜日誌上で語学の天才の村岡崇光ライデン大学元教授と共にオランダ戦犯法廷の一次資料を翻訳解説する連載を行ったことがあります。
翌年に単行本となったこの仕事は、その一部が英文とさらに本年は韓国語に翻訳され、国際的にも歴史研究の資料となっています。(『「慰安婦」強制連行』・オランダ軍法会議資料/梶村、村岡、糟谷、2008、金曜日
以来、「慰安婦強制連行はなかった」などとの史実の改竄は、まともな研究者や政治家は口にできなくなっています。ですから、日本の歴史改竄主義者たちには最も嫌われている書籍のひとつです。これを読んで覚醒した若者たちが多くいます。

さて、この問題が起こった当時、中曽根氏は東京の外国人特派員協会で記者会見し、特派員たちに自らの海軍時代の慰安所関与に関して追究され以下のように真っ赤な嘘を述べています。わたしの著書にもこの件は、完全な裏付けが無かったため記述していませんので、ここで追加の意味もありますので書いておきます。
戦後の「核の男爵」が軍隊時代には、せっせと「慰安所」設営に精を出したことについて、特派員たちを前にしては、以下のようにしらを切っています。
アメリカのブルームバーグの日本語版です:
 以下全文引用
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タイトル:中曽根元首相:旧海軍時代に慰安所つくった記憶ない−慰安婦問題

http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920000&sid=auVti5ZLiSxw&refer=jp_asia%253Cbr/%253E
 3月23日(ブルームバーグ):中曽根康弘元首相は23日午後、日本外国特派員協会で記者会見し、自らが旧海軍時代に従軍慰安婦が詰める「慰安所」を設置したと指摘されていることについて「事実と違う。海軍の工員の休憩と娯楽の施設をつくってほしいということだったので作ってやった」と否定した。

従軍慰安婦問題への旧日本軍の関与の実態に関しては「具体的なことは知らない」と述べるにとどめたが、「日本として謝罪すべき問題だ」とも指摘した。また、米下院に提出された旧日本軍の従軍慰安婦問題に関する対日非難決議案へ日本政府が取るべき対応について「結果次第だ。考えるべき問題があれば考え、処置すべきことがあれば処置すべきだ」と語った。

また、安倍晋三首相が、当時の官憲などが慰安所の設営や慰安婦の募集・移送に関与していたことを認めて「おわび・反省」を表明した1993年の河野洋平官房長官談話を継承する、としていることに賛同する考えを強調。その上で、「日本政府、国民は正式な謝罪を行っている。改めて政府が言うチャンスがあれば必要だ」とも語った。 
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当時、安倍発言が大きな国際問題になったため、以上のような発言となったものです。

この記者会での発言は、検索すれば多くが出てきます。「ではその施設では何をしていたのか」と問われ、「碁を打っていた」などと、ふざけた回答までしています。当時から信用されていませんでした。しかしこの発言を覆す証拠が無かったのです。これが1942年から65年後の2007年の中曽根氏の「人生の嘘」であることを暴く史料がついに出たのです。

現物が以下に紹介され、解説もされています:
http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanoshi/2011/10/post-191b.html
http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanoshi/2011/10/post-4383.html
貴重な資料ですので ここから現物の写真を一部お借りします。

ここに見られる記述:

皈心矢の如く[帰心矢のごとく]氣荒くなり日本人同志けんか等起様になる
主計長[海軍第二設営班主計長の中曽根康弘・海軍主計中尉]の取計で土人女を集め慰安所を開設氣持の緩和に非常に効果ありたり

(この記述の最初の文字ですが、「草の家」の藤原義一さんに問い合わせたところ、正しくは「皈」で、「帰」の変字体であるとのことです。したがって藤原さんの注にあるように「帰心矢のごとく」と読むのが正しいとのことです。感謝して訂正いたします。11月2日)

これは中曽根氏の1978年の回顧録への寄稿にある:
 「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである。」
  
と見事に符合しています。
次の写真には囲いのある典型的な慰安所も記入されています。

左に見えるここだけ囲いのある建物には「設営班慰安所」とあります。

さて、この証拠が出た以上は、今も幸いにお元気である中曽根康弘氏に、「三千人もの大部隊の慰安所には、何名の女性を集めたのか」また「どのようにして集めたのか」について具体的に正直に語っていただく必要があります。
それができないようでは、中曽根氏の名前は日本の第二次世界大戦の戦史の汚点として記録されることになります。 そして、戦後の内閣総理大臣としての経歴の汚点ともなります。

これにどう答えるかで、中曽根康弘という人間が決まります。これで氏は晩年になって歴史の審判の公共法廷に立たされ、ついに「人生の嘘」を墓場までもって行くことができなくなったのです。

以上をわたしたちの4年前の『「慰安婦」強制連行』の補足として書いておきます。
高知市の「草の家」のみなさまの真摯な長い活動に感謝いたします。何年前になりますか、ドイツの市民運動の仲間とともに大変なお世話になったことも改めて感謝しつつ。

(追加:11月2日)
藤原義一さんから高知新聞も送っていただきましたので転載いたします。
高知新聞2011年10月28日

また上記書類の解像度の高い写真もいただきましたので転載します。
せっかくですので、藤原義一さんによる後半のバリクパパンの状況の記述も転載させていただきます:

バリクパパンでは●[「飛行」の印]場の整備一応完了して攻撃機による
蘭印[オランダ領東インド]作戦が始まると工員連中ゆるみが出た風
で又[また]日本出港の際約二ケ月の旨申し渡しありし為
皈心矢の如く[帰心矢のごとく]氣荒くなり日本人同志けんか等起る
様になる
主計長[海軍第二設営班主計長の中曽根康弘・海軍主計中尉]の取計で土人女を集め慰安所を開設氣
持の緩和に非常に効果ありたり
 

2 件のコメント:

  1. 梶村様
    朝日新聞を定期購読しているのですが、梶村様がブログでお示しになられた「中曽根元首相、慰安所「取り計らい」」の記事、確かに電子版で読むことはできますが紙面のほうでは見当たりませんでした。(一応、少しさかのぼってほかの日にちのも確かめては見たのですが…)普段電子版のほうまで朝日を読んではいませんので、梶村様のご指摘がなければ、気づきませんでした。
     取り上げてくださりありがとうございます。

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  2. ロナルド・レーガンとは「ロンとヤス」の間柄だと中曽根さんは喜んでましたね。当時「風見鶏」「すだれ」などと言われていた方でもありますが。記憶に無いと言い出さないうちに真相を語って頂かねばなりません。ロンはアルツハイマーだからと、真似するかもしれませんから。

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