2012年8月24日金曜日

114:ついに脱原発法案実現へ一歩/子どもを外した野田首相との面会はドジョウに念仏

8月22日の午前と午後に永田町であった二つのことについて書きます。

まずは、同日夕刊各紙で伝えられていますが、市民運動の高揚を背景に、ついに脱原発法制定が実現化し始めました。これは1988年に高木仁三郎氏らがいったん提起して挫折した日本の脱原発運動の意思がおよそ四半世紀を経て、ついにして甦るものです。

この日午前、衆議院議員会館での「脱原発法制定全国ネットワーク」の記者会見の様子を見ておきましょう。そこで提案のあった法案の要綱案はまだネットでは見られないので、その内容の検討はここでは出来ませんが、とりあえずはこの歴史的なスタートの記者会見を記録し、次回でそこにいたる長い前史を振り返ります。

多くの報道から22日夕刊の→東京新聞の報道が充実していますので、以下すっかりお借りします。(Danke,Tokyo Shimbun!

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脱原発法制定へ始動 大江健三郎さんら 全国組織を設立
2012822 東京新聞夕刊
脱原発法制定全国ネットワーク設立の記者会見であいさつする代表世話人の大江健三郎氏(中)ら=22日午前、東京・永田町の衆院第1議員会館で(中嶋大撮影)


作家の大江健三郎さんや前日本弁護士連合会会長の宇都宮健児さんら作家や弁護士らでつくるグループが二十二日、東京・永田町の衆議院第一議員会館 で記者会見し、二〇二五年度までに全原発の廃止を実現するための「脱原発基本法」制定に向け、各政党や国会議員に働きかける方針を表明した。
 
 グループは「脱原発法制定全国ネットワーク」で同日設立された。大江さんらのほか、作家の瀬戸内寂聴さん、音楽家の坂本龍一さん、福島県南相馬市の桜井勝延市長、茨城県東海村の村上達也村長らが代表世話人に名を連ねる。
 
 グループが作成した法案の要綱案は、廃炉の時期を「遅くとも二〇二〇年度ないし二〇二五年度までのできるだけ早い時期」と明記。原発の新増設禁止のほか、運転期間を例外なく四十年とすることなどを盛り込んだ。
 
 また、原発は事故が起きれば無限大の被害が発生する可能性があり、一度に大量の電源を失うことなどから、「エネルギー安全保障上、極めて脆弱(ぜいじゃく)なシステム」と指摘。原発に代わる電力の安定供給のため、再生可能エネルギーの活用などが重要だとした。
 
 グループは、超党派による議員立法を視野に今国会中の法案提出を目指す。提出が間に合わなかった場合は総選挙の際に、全ての候補者に法案を送り、賛成か反対かを問うとしている。
 
 代表世話人の一人、河合弘之弁護士は「官邸前などでの市民運動の盛り上がりがなければ、私たちの今回の提案はあり得なかった」と述べた。
 大江さんは「市民が動けば、脱原発基本法をつくることができる。きょうはその出発点だ」と期待を込めた。

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この日の午前中の1時間17分の記者会見のすべてはネットでは二つ記録されています。
IWJ:→「脱原発法制定全国ネットワーク設立記者会見」 



同じ内容ですが、音声は後者の方が優れています。わたしの見解では歴史的なものになると思いますのでどちらかを是非ご覧のうえで以下をお読み下されば幸いです。

また同日の午後には、首相官邸での反原発首都圏連合と野田首相の面会があり、その方の報道のほうが大きく扱われています。
しかし、この面会の意義は、首相が合わざるを得なくなったこと以上のものではなく、予定の20分が30分になって、運動側が言いたいことの最低限のことだけは面と向って述べ、野田首相の馬耳東風、馬の耳に念仏のさまを確認しただけでした。
それでも、対面時の運動側と首相の表情を確認できるのは滅多に無いことですから30分の録画をご覧ください。終始無表情な野田首相にとっては面会はドジョウに念仏でした。

You Tube:→反原連vs野田総理ノーカット版

この動画に付けられた解説に、以下の記述があります。大変重要な指摘ですので記録しておきます。
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今日のこの面談に関して、市民の間では、福島の代表者を入れるべきだといった声が出ていたが実現しなかった。郡山で子どもたちの集団疎開を求めて裁判を起こしている「福島­集団疎開裁判」は独自に記者会見を開き、代表・井上利夫さんが「これまで、原発いらない福島の女たちなどが度々面談を申し入れてきたにも関わらず実現していない」として、­福島の子どもたちを第一に据えるべきだとの考えを示した。 
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そもそも、首相官邸前の抗議デモは「子どもを守れ、未来を守れ」が最大かつ最終の目標であるはずです。再稼働反対も人事案撤回もそのための当面のスローガンです。盛り上がる抗議を背景にようやく実現した会見に、その主役である「フクシマの子どもたち」の代表が参加できなかったことは、運動側の大きな失点です。少なくとも運動側は、なぜそうなったかについての経過を明確に説明するべきでしょう。

それでないと信用が一挙に失墜する恐れがあります。子どもが外されたこの会見の様子を見て、最も怒り失望しているのはフクシマの子どもたちとその母親たちであることは間違いありません。
ドイツでもそうですが、成功する反原発運動の先頭には必ず、若者と子どもの姿があります。なぜなら彼らの存在そのものが目的だからなのです。それを忘れてはなりません。
もし子どもの姿があれば、この 面会はドジョウに念仏では終わらなかったでしょう。

以上、とりあえず22日の午前と午後にあった二つの出来事を記録しておきます。この二つの出来事、脱原発法と市民運動は日本が脱原発を実現するうえで不可欠の車の両輪なのです。上記の河合弁護士と大江氏の言葉にあるように、どちらを欠いても決して脱原発社会は実現できません。
次回はこのことについて歴史的な体験を述べます。






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