2015年1月9日金曜日

279:フランス風刺週刊誌襲撃:ドイツでの哀悼と抵抗の光景「風刺には全てが許される。ただ死ぬことだけは許されぬ」

ベルリン国会議事堂の半旗 2015年1月8日
 (9日に赤字部分の解説を文末に追加しました)
 昨日1月7日、白昼のパリで起こったフランスの風刺週刊誌『シャルリーエブド』の編集部へのテロ襲撃は、世界中に衝撃を与えていますが、ここドイツのベルリンでも大きなショックを与えています。
 これを書いている8日の段階では、まだ犯人の実態も完全には判明しておらず、背景の解明も闇の中です。ただ、この事件が民主主義社会では絶対に許されない表現と報道の自由に敵対する最大で最悪の暴力行為であることだけは確かです。

 本日の『南ドイツ新聞』は論説で「フランスの不吉な前兆」との見出しをつけ、「この事件はそれでなくても分裂しているフランス社会に大きな困難をもたらすであろう。・・・それは長い歴史ののなかではドレフューズ事件以来のようなものであるかもしれない」と大きな懸念を表明しています。この事件がフランス革命以来の同国では最大の社会思想の危機をもたらし、歴史的にもこれに匹敵する深い原因が、この残忍な殺人行為には推定できるからです。

  ドイツでもフランスほどではないにしても、深い反イスラム感情が社会に潜伏しており、昨年末からそれが、ドレスデンを中心とする草の根の極右ポピュリズムの動き*として顕在化していることもあり、わたしもこれについて報告しようとしていた矢先に起こった事件ですので、ここでも決して対岸の火事ではないのです。

 隣国のドイツの最初の1日の情景を以下簡単に写真で報告しておきましょう。
これは本日8日のベルリンの日刊紙です。申し合わせたように一面に『シャルリーエブド』誌の様々な風刺画を掲載して、犠牲者たちを追悼しています。同誌の風刺画はイスラム教だけでなく、キリスト教やユダヤ教も辛辣に風刺してきたことが、一目瞭然でわかります。


 これは8日午後のフランス大使館の入り口です。次々と政治家や外交官が弔問に来ています。昨晩は夜遅くまで多くの市民が集まって静かに犠牲者を追悼しています。
ここではフランス国旗だけが半旗にされています。欧州旗はそうされていません。
 入り口には市民がひっきりなしに花とロウソクをもって追悼に訪れています。

フランス大使館はブランデンブルク門(背後)に面したパリ広場にあります。
 一夜にして世界中に広がった「わたしはシャルリーだ」との連帯のスローガンが多く見られます。
  「風刺には全てが許される! だだ死ぬことだけは許されぬ」。みごとな表現です**おそらく作家のグループが書き置いたものでしょう。
      犠牲となった風刺画家たちへの追悼の色鉛筆の束がこぬか雨に濡れています。

わたしも家を出がけに持ってきた赤鉛筆を一本置いてきました。
フランス革命の記憶。
暗くなり小雨も次第に降り出し、ロウソクの点火も難しくなってきました。
そろそろ帰宅しようと思い、ふとパリ広場に面した大使館の隣りのビルを見上げると、窓際に人々が立っています。ここには『シュピーゲル』誌のベルリン支局が入っています。
 同誌の記者たちがそろって「わたしたちもシャルリーだ」と意思表示をしているのです。
おそらく編集会議を終えてから、一斉に職場で連帯の意思表示をしたのでしょう。
 彼らの健筆は銃弾より強くなければならないのです。大いに期待したいものです。

ウンターデンリンデの地下鉄入り口前の欧州議会の事務所の欧州旗が半旗で雨に濡れながらはためいていました。
 本日、デメジエール内務大臣による全ての官庁の旗を半旗にする通達によるものです。
欧州旗までが、半旗にされる光景はわたしの記憶にはないことです。パリのテロ行為が、欧州への挑戦であると受けとめられていることがここにも示されています。

 2015年は、ヨーロッパでも大きな政治的難局が待ち受けているようです。

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(1月9日に解説を追加 )
ドレスデンを中心とする草の根の極右ポピュリズムの動き*

これについてはハフィンホンポストが日本語版で本日 →ドイツで広がる反イスラム反移民デモと写真報道しましたのでご覧ください。
わたしも来週当たりに詳しく報告したいと思います。

みごとな表現です**
なぜ見事な表現であると思ったかというと、ドイツの→クルト・トゥホルスキー というワイマール時代の風刺作家が、1919年にベルリンの新聞で述べた有名な「風刺には何が許されるか? 全てだ!」 という言葉をふまえたものであるからです。この風刺週刊誌襲撃事件を巡って、ドイツの言論界ではこの一句が頻繁に引用されています。

ついでに、明日10日発売の『シュピーゲル』誌の表紙と、同誌の電子版に今日掲載された編集部からの社員の集合写真を挙げておきましょう。これには解説は不要でしょう。
シュピーゲル最新号「自由への襲撃」

シュピーゲル電子版より



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2 件のコメント:

  1. 「風刺にはすべてが許される。だが、死ぬことだけは許されない。」
    表現の自由、思想の自由を尊重しなければならないこと、今回のような殺害が悪であることには全く異論はありません。しかし、表現の自由、思想の自由を絶対化するのも間違いではないでしょうか?日本におけるヘイトスピーチを表現の自由を盾に取って弁護出来ますか?ホロコーストを公に否定することはドイツでは許されていますか?「殺すことだけは許されない」と言いますが、他者の宗教、信条を公に風刺する、揶揄するということはその相手の人間としての尊厳を損なう者であり、その人を殺すのと本質的に変わりありません。

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  2.  はい、そのとおりです。国連も人種差別禁止条約などで規制すべきだとしています。欧州でもドイツの民衆煽動罪などで、その他の諸国でも同様な法律で一定の規制をもうけています。

     ただ、この規制は非常に難しい問題をかかえています。日本でも「在特会」のヘイトスピーチなどで同様の規制法規を実現すべきだとの意見があります。例えば木戸教授の意見:
    http://apc.cup.com/apc201001_12_13.pdf
    (ここにも上記のトゥホルスキーの別の発言が問題になった事件に言及されています)

     いずれにせよ「風刺が死んだ社会」が恐ろしい社会であることは間違いありません。フランスは革命後、世界で初めて検閲を廃止した歴史があります。この事件で問われているのはこの伝統をどう守るかということです。
    今日11日のパリでのデモでその意志が示されるでしょう。

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