2017年10月29日日曜日

338:ベルリンフンボルト大学で「慰安婦」問題映画月間Women’s Bodies as Battlefieldが始まります。追加記事あり。

 ここベルリンでは、来る11月1日からWomen’s Bodies as Battlefieldと題された、いわゆる日本軍「慰安婦」、正確には日本軍性奴隷の被害者に関する映画五本が、映画月間としてフンボルト大学で毎週水曜日の19時から5回にわたって上映、紹介されます。

 主催と共催は大小の国際的NGO11団体です。それにふさわしく、紹介される映画も韓国、中国、フィッリピン、インドネシア、台湾とアジア諸国の作品で非常に質の高いものです。英語の字幕、ないしはナレーション付きでインドネシアの作品だけはドイツ語字幕付きですが、どの映画にも不可避的に日本語が出てきます。それはなぜでしょうか?

 この問題は、近年の日本のメディアでは、あたかも日韓間だけの問題のごとく扱われていますが、それは大間違いであることがこの上映会でもわかるはずです。多くのアジア諸国との問題なのです。
しかも旧日本軍だけでなく、戦時における性奴隷問題は、極めて普遍的な現在の大きな国際間の課題なのです。
 
 これに対して安倍政権は「見ざる聞かざる言わざる」を決め込もうとしていますが、そんな日本政府の姿勢こそが、外交的孤立を招き、日本の国益に反するものであることを理解できないことこそがこの政権の致命的欠陥の一つです。
 この問題に関しては、安倍政権はやることなすこと全てが失敗し、歴史修正主義の恥の上塗りしかできていないことがさっぱり自覚できていないという惨めな姿が、国際世論での客観的な現実です。
 それもあり在ドイツの日本の外交関係者の皆様には、フンボルト大学でのこの特別講義に特に参加をお勧めいたします。
 少なくとも、この特別講座にケチをつけるために大学に抗議をするような恥晒しだけはしないでいただきたいものです。やりかねない外交関係者とその手先は,
驚くべきことにドイツにもいますから、あらかじめ警告しておきます。


    
      Jeden Mittwoch im November 2017 um 19:00 Uhr 
 Humboldt Universität zu Berlin, Hörsaal Nr. 1070, Unter den Linden 6, 10099 Berlin
Eintritt frei – Spenden für Überlebende in Indonesien erbeten

 入場は無料ですが、インドネシアへの寄付を募るとのことです。
 各作品の詳しい紹介は主催者の⇨HPでの解説をご覧ください。

(11月3日追加)
韓国の通信社聯合ニュースが日本語でも2日付で以下のように⇨この映画月間について報道しています。
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慰安婦問題テーマのドキュメンタリー映画 独大学で上映へ

 【ベルリン聯合ニュース】旧日本軍の慰安婦問題を扱ったドキュメンタリー映画の上映会が12日から29日までドイツのベルリン・フンボルト大で開催される。
韓国、中国、台湾、インドネシア、フィリピンなどの慰安婦被害者の生涯を記録した映画が取り上げられる。上映作品はビョン・ヨンジュ監督の「ナヌムの家II」や班忠義監督の「太陽がほしい 『慰安婦』とよばれた中国女性たちの人生の記録」など5作品。
 上映会はドイツの韓国関連の市民団体「コリア協議会」などが企画した。

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なお、最初の1日の「ナヌムの家Ⅱ」の上映会は立ち見も出るほどの盛況でした。若い学生世代の参加が大半であったことが特徴です。

なお次回11月8日に上映される「太陽がほしい」には3年前の上映会と同じく班忠義監督が特別参加され質疑応答も行われる予定です。
前回の予告と報告は、⇨ここ⇨ここにあります。今回はまた違った影響がありそうなので楽しみにしています。
(以上追加です)



337:ルター宗教改革500周年記念日への寄稿です。追加情報あり。

 明後日の2017年11月31日はマルティン・ルターが宗教改革を始めて500周年記念日となります。これに関しては、その前後に日本のメディアでも少しは報道されるとは思いますが、一般的に関心は薄いと思われます。
(31日:文末に情報を追加しました。)
 
 わたしはルターが宗教改革を始めたエルベ河畔のヴィッテンベルク市をこの春訪ね、その歴史的意義について日本史との関連も含めて日本のミニコミに寄稿しましたので、それを紹介いたします。 掲載誌は6月に発刊された⇨季刊戦争責任研究の付録の⇨Let`s 88号に掲載されたものです。クリックしてご覧ください。



 (訂正)最初のページ2段目5行目に「ついに一六世紀には・・」とありますが、正しくは「ついに一七世紀には・・」です。

なを、文末にあるテロルの地勢誌での⇨特別展は11月5日までですので 関心のある方は早めに観てください。

(追加情報です。10月31日)
毎日新聞のベルリン特派員中西啓介記者が、日本のマスメディアでは唯一まとまった特集で三回の連載を昨日までにしていますので是非ご覧ください。関連のビデオも付いています。


ルターの光と影:宗教改革500年





また、アシジ教授による「ルター1517」のパノラマはHPでその会場の様子の写真がを見ることができ、規模がわかります。

またこれに関する、独仏の公共放送の報道のは多くありますが、動画としては⇨Arte⇨DWを挙げておきますのでご覧ください。





336:松井一實広島市長ベルリン講演のお知らせ。Vortrag des Büugermeisters von Hiroshima in Berlin

 お知らせです。広島市の松井一實(まついかずみ)市長が、近くベルリンの大学の講座の一環として、核軍縮について講演されます。滅多にない機会ですのでご参加ください。
 2017年11月10日午前10時からで、講演は英語で行われ、質疑応答にはドイツ語通訳がつきます。 会場は以下の写真をクリックしてご覧ください。

参考として、今年の8月6日の松井市長による広島市平和宣言とその報道は⇨こちらです







2017年10月15日日曜日

335:講演「難民・移民・アイデンティティ=ドイツの経験」2016年10月の紀要掲載のお知らせと補足

 読者のみなさま、
 
 昨年夏からこのブログへの投稿が1年ほど途絶えていた大きな理由は、1昨年2015年秋からの難民問題に注目して、その報告を『世界』などの活字媒体に連続して執筆していたことが大きな理由です。
 またそれに加えて、立命館大学の国際言語文化研究所で、昨年2016年10月に行われた連続講座⇨「越境する民・変動する世界」の企画のひとつで講演をしたことなどで訪日して、いささか落ち着かない状態でした。
 それに、なりよりも横文字の資料文献を読む速度が年齢相応に鈍化しており、読書中にこの写真のような膝の上の猫のアズキと一緒に眠ってしまうことも増えています。明日うらしまもいよいよの老化にはいかんともしがたしです。


 さて言い訳と愚痴はこれだけにして、上記の昨年の連続講座の講演のすべてが掲載されている同研究所の紀要第29巻1号がようやく出版され、同時に⇨すべてがネットで閲覧できますのでそれをお知らせいたします。
  
 そのうちで梶村の講演は⇨「難民・移民・アイデンティティ=ドイツの経験」です。
かなりの長文ですが、原文はレジュメをもとに話したものですので、あまり読みにくくはないと思いますので、お読みくだされば幸いです。
  
 ただ、この講演では写真を多く示しましたが、印刷物のPDF表示のため鮮明に見えないものがありますので、読者の理解のため、使用した21点の写真のうちの3分の1の7点を以下ここに掲載しておきますので、ご参考としてください。番号は本文のものです。


 ここの写真はクリックすれば拡大してパノラマで見れます。

写真1

写真4
写真11

写真13

写真15

写真20
写真21

 なお、この講演はちょうど1年前のもので、その後難民問題は先月のドイツ総選挙にも非常に大きな影響を与えており、これについては今週からようやく連立交渉の予備会談が始められるドイツの新政権成立の見通しがついた段階で、できたら年末までにしかるべきところで詳しく報告する予定です。

 とりあえず、上記の講演に関して、読まれた方のご感想、ご批判をいただければ嬉しく思います。
 なお、写真について本文にはない説明をここで補足しておきます。

写真1は、1939年8月23日の独ソ不可侵条約の秘密協定に基づき、9月に独ソ両軍がポーランドに侵攻し、両軍が出会った直後の9月28日にリッペントロップがモスクワへ飛び、スターリンとの間でポーランドの地図に線引きして両軍の占領地域を現実に応じて確定したものです。だから赤鉛筆の日付は39年9月28日となっています。

写真20は主に、Die Zeit Nr.49. 3.Dezember 2015です。

もう一つ補足しておきます。本文で紹介しましたホモ・ミグランスという概念を提唱したクラウス・バーデ教授の論文、論評などを集大成した書籍が先月出版されましたので、早速求めてみましたら、この通り:


 なんと、600ページの大著で、小さな文字でこれも事典並の構成です。
世論を啓蒙するだけの重みのあるドイツのアカデミズムの良き伝統と業績の実例ですね。

実際にこの著作はレンガの一つぐらいの重さがあります。これは彼の研究所に関する論考のページです。